大物釣りの未来
僕は最近、自分自身が大物釣りに対して少し冷めてきていることに気がついた。今日は、これまで熱中していた趣味に対する温度が下がってきた今、ふとその理由を考えてみて気づいたことを述懐したい。
承認欲求を満たす手段としての「陽キャ的趣味」
まず、僕が大物釣りに冷めた最も大きな理由は、"承認欲求的なカッコよさ"への期待が薄れたことだった。正直に言えば、僕は釣りを「陽キャ的な趣味」としての自己イメージの補強に使っていた部分がある。 大きな魚を釣り上げた写真をSNSに投稿し、アウトドア派としての自分を演出する。こうした動機は、実は釣り自体の楽しさとは別物のように思う。
このような自己イメージの補強として趣味に携わる姿勢は、多くの趣味において誰しもに起こりうる現象だと思う。趣味そのものの楽しさと、その趣味を通じて得られる社会的な承認は、しばしば混同される。しかし、承認欲求を主たる動機とする趣味への関わり方は、本質的で長期的な満足感を提供しない。
頻度とガチ勢の排他性
もう一つの問題は、頻度とコミュニティの温度差だった。僕は上で承認欲求と書いたが、実際釣り自体は普通に好きだ。
しかし、あまりに頻繁で時間的・金銭的に負荷が高い釣りばかりをしていると、疲れるという感覚がある。一方、「ガチ勢」の世界では、たくさん遠征に行ってこそ正義であり、ほどほどの参加頻度では物足りないとされることが多い。
そしてそのような熱量の高い趣味コミュニティには、しばしば"排他性"が見られる。専門性や熱量の高いコミュニティは、しばしば新規参入者や温度差のある参加者を排除する傾向があり、この排他性は、一見するとコミュニティの質を保つ機能を果たしているように見える。しかし、長期的にはその趣味市場全体の縮小につながる危険性がある。
大物釣りの構造的な敷居の高さ
そういった趣味コミュニティの中でも、大物釣りには他の趣味と比較して、特に高い参入障壁がある。
道具や遠征のコストが高く、若年層や新規参入者が入りにくい構造になっている。この結果として、年齢層の高い「余裕のある層」だけが参加し、世代交代が起きにくいという問題が生じている。
この構造的問題は、以下のような負のスパイラルを生み出す。
- ①若年層は他の余暇の過ごし方を好み、そちらの方がコスパもタイパも良いため、釣り離れが加速する
- ②同族同士での内輪のコミュニケーションがさらに深まり、より排他的なコミュニティになる
- ③船上でのマナーや船長へのリスペクトの示し方、レジェンド的な人物への尊敬の示し方など、独自のルール・マナーが複雑化、口伝の秘伝のタレ化する
- ④これらのルールを理解し、適切に振る舞うためのコストが高くなる
- ⑤結果として市場全体が縮小し、釣りという文化自体が衰退していく
- ⑥縮小した市場では、道具の調達コストや指南を受けるコストがさらに高くなり、結果として①の釣り離れがさらに加速する
趣味コミュニティの持続可能性
この問題は、大物釣りに限らず多くの趣味コミュニティに共通している。ゴルフ、茶道、華道、クラシック音楽など、参入コストの高い趣味は似たような構造的問題を抱えている。
経済学の視点から見れば、これは典型的な「市場の失敗」の一例だ。個々の参加者が合理的に行動した結果(質の高いコミュニティを維持しようとする、専門性を重視する)が、全体としては非効率な結果(市場の縮小、文化の衰退)をもたらしている。
こういった市場の縮小スパイラルから抜け出し、持続可能な趣味コミュニティを作るためには、以下の要素が重要なはずだ。
段階的な参入システム 初心者から上級者まで、それぞれのレベルに応じた楽しみ方を提供する仕組みが必要だ。全員が同じレベルの熱量や投資を求められる環境では、多様性が失われる。
コストの最適化 参入コストを下げる工夫や、段階的な投資が可能な仕組みを作ることで、より多くの人が参加しやすくなる。
文化的包容力 異なる価値観や参加スタイルを受け入れる寛容性が、コミュニティの持続可能性を高める。
釣り人の文化というのは、残念ながら上記の全てを持っていないように思う。 初心者と上級者の間の差分が大きすぎて、中間層と言うべき層がほとんどおらず、初心者が上級者になるためのコストは時間的にも金銭的にも莫大で、それを一気に投下できる人でなければ、上級者が楽しむような大物釣りには参加しづらい。 さらに、上級者たちは文化やマナーを理解していない初心者に対して排他的で、「こんなことも分からないなら釣りをすべきではない」というようなスタンスの人が多い。 僕は釣りが好きで、自分にとって持続可能な頻度と熱量で今後も続けたいと思っているが、こういった業界状況では、市場の縮小は避けられないだろう。
僕が大物釣りに対して求めているのは、"気軽なスタイル"での楽しみ方だ。自分のペースで、趣味としての"自由"を大切にしたい。承認を求めることよりも、純粋に釣りそのものの楽しさに集中したいし、業界のレジェンドと言われる人や上級者たちに対して、仕事さながらに気を遣わなければならないような環境で釣りをするのは、正直面倒だと感じる。
これは、現代の趣味との向き合い方において重要な視点だと思う。SNSやコミュニティからの圧力によって、趣味が「やらされるもの」になってしまっては本末転倒だ。趣味の本質は、自発的な楽しさにあるはずだ。
趣味の多様性を保つために
趣味コミュニティが健全に発展するためには、多様な参加スタイルを受け入れる包容力が必要だ。ガチ勢もライト層も、それぞれが自分なりの楽しみ方を見つけられる環境を作ることが、文化の持続的発展につながる。
僕自身も、大物釣りを完全にやめるというつもりはなく、自分なりの楽しみ方を模索していきたい。承認欲求から解放された、より純粋な楽しさを追求していくことで、趣味との健全な関係を築けるのではないだろうか。