何も言わないことの価値を評価する
発言することの価値は認識されている
「会議に出るなら発言せよ、発言しないなら存在価値がないので、出ない方がいい」というのは、新人教育の場なんかでよく言われることです。
「会議で発言しない人の価値はゼロ」ーこれが、コンサルティング会社の価値観です。
確かに、発言しない人は、なんの価値も生んでいません。
仮につまらない意見でも、自分なりに知恵を絞って、何か言った方がマシで、沈黙は無だったのです。
https://note.com/sudatakashi/n/n8042b19e44ca
https://note.com/rossy_style/n/nfdc26f3f1b0f
僕もその通りだと思います。その会議が会社の活動である以上、その時間には給料が払われていて、参加者はその給料に見合う価値を出さなければならない。
職業人として基本的な考え方です。
会議参加者には、発言・オンライン会議におけるチャットを使ったテキストベースのコメントなど、なんらかのコミュニケーション手段によって議題となっているトピックに対して、付加価値をつけることが求められます。
しかしこれはあまりにも自明で、会議や会議に限らず、なんらかの仕事のプロセスに参加しているにも関わらず、本当に黙っているだけという人は、少ないのではないでしょうか。
当たり前ですが、役割がないにも関わらずオブザーバーとして参加しているような会議参加者というのは基本的にはなくしていくべきで、そういった価値観は近年の生産性向上を謳った本でうるさく言われているので、一定のプロ意識を持つ仕事人の中ではすでに浸透してきているように思います。
マイナスの価値を生む発言や行動
尖った面白いアイデアが、たくさんの人の考えを取り入れていく過程で丸まっていき、最初の面白いアイデアが失われてしまう。
それゆえにたくさんの人の意見を取り入れるという、いかにも民主主義的な価値観に照らし合わせて道徳的で、いいアイデアに昇華させるために重要なプロセスであると認識されがちな方法は、アンチパターンであるという意見があります。
これは分かりやすく多数の人が意見を言うことが、アウトプットに対してマイナスに作用するパターンです。
しかし、一見して良い意見にしか見えないような発言やフィードバックですら、普通にマイナスの効果を生んでいます。
たとえば、”この書き方は、〇〇目線ではないので、xxにしたほうがいい”といった意見、また”この資料のこのあたりは論理的に破綻しているから、もう少しちゃんと書いたほうがいい”という指摘。
これらは、その場面のそのアウトプットに対するフィードバックとして、誤った内容ではないかもしれません。
しかし、そういった内容的に正しい指摘ですら、
- そもそもそのアウトプットに対してかけるべきコストがどの程度なのか
- そのアウトプットによって達成したい目的、たとえば意思決定に対して、その指摘内容の修正がより良い結果を生むのか
という観点で考えたときに、単なる無駄である可能性があるわけです。
結局、ある単一の観点、たとえば資料の品質のような観点での評価点数は、より上位の目的を達成するための手段として十分であればそれで良く、その水準をひたすら高めることに意味はないのです。
もちろん、単に意思決定を行うだけでなく、その意思決定に関与する人の能力を上げること=育成こそが組織的な半永久的繁栄につながることを考えると、目的は意思決定だけでなく、育成にも置かれるべきという場面は多いです。
しかし、そのアウトプットによって達成したい目的を考えることなく、今思ったことを思ったままに言う行動が良い成果を生み出すという考えは、あまりにも思考停止であると言わざるを得ません。
どんなに素晴らしい洞察を含む意見でも、その場の目的に合っていなければ意味がないのです。
価値とは何かを真剣に考える
さて、ここまでの議論を聞いて、「発言すること」がまるで義務のように語られる現代の職場環境について、少し俯瞰してみましょう。
「発言しない人に価値はない」というフレーズは、まるでシンプルな真理のように見えますが、その裏には「発言しないと給料泥棒」という無言のプレッシャーが潜んでいます。しかし、こうした考え方を鵜呑みにしてしまうと、職場はまるで無限に続く自己アピール大会のようになりかねません。
たとえば、会議中に「何か言わなければ!」という焦りから、内容の薄い意見を次々と放り投げるシーンを目撃したことはありませんか?それがどれほど生産性を損なうかを考えれば、「何も言わない」という選択肢がいかに価値ある行動か、容易に理解できるでしょう。むしろ、沈黙を守ることで状況を冷静に観察し、的確なタイミングで本質を突く意見を放つ方が、よほど「付加価値」を生むのではないでしょうか。
また、そもそも「発言」という行為を価値の基準とすること自体が、いささか独善的な発想ではないかと思うのです。価値とは、他者との比較で決まるものではなく、その人自身の行動がいかに全体の成果に貢献するかで測られるべきです。「黙って仕事に集中する」という行為がチームに大きなプラスをもたらすのであれば、それは堂々と評価されるべきではないでしょうか。
ここで少し皮肉を交えるなら、無駄な発言を増やすのではなく、むしろ「話さない訓練」を義務化する企業が出てきても面白いかもしれません。
最後に、こんな問いを投げかけてみたいと思います。「価値」という言葉を安易に使うとき、それは誰にとっての価値なのでしょうか?もしそれが全体の利益を無視した自己満足に過ぎないのであれば、私たちはその価値観を疑うべきでしょう。