釣船のプロダクト戦略
僕はおそらくこの2年間ほどで、少なくとも30~50隻の釣船に乗ったと思うのだが、そこで気づいたことがある。
それというのは、釣船という業界におけるプロダクトとマーケティング、プロダクトに付随する周辺サービスそれぞれへの比重の置き方と、地域ごとの顧客数の関係である。リソース投下に関する考え方ということで、いわば釣船のプロダクト戦略と言えるかもしれない。
人口と知名度による釣船営業地域の分類
ざっくり言うと、釣船業界には地域によって以下のような特性がある。
- ①人口特性による顧客数の違い:関東地方はその人口特性から、顕在化している、または潜在的な顧客数が多い。一方でそれ以外の地域は関東地方、特に千葉県船橋市付近〜神奈川県の平塚周辺を中心とした都心からのアクセスが1時間30分未満の地域と比較して潜在的な顧客数が少ない。
- ②釣りの名所としての知名度:上述したような顧客数が都心と比較するとそこまで多くない地域も、さらに2つに分類される。1つは福岡県や沖縄県、鹿児島県の奄美諸島や長崎県の対馬、佐賀県の唐津、静岡県の銭洲をはじめとする沖磯群など、釣り遠征先として有名な場所で、もう1つはそれ以外の釣りの名所としてそこまで有名ではない場所である。
この記事では、関東のような顧客密集地を「釣船密集地域」、そして顧客数がそれよりは少ないけども有名な地域を「釣りの名所地域」、そして人口が少なく、かつ釣りの名所にも当てはまらない地域を「釣船希少地域」と呼ぶ。
なお、千葉県の外房地域なんかは、①と②の両方の特性を半分ずつ持つような地域である。都心からのアクセスは悪くはないものの、車で1.5時間以上と少しばかり時間がかかり、釣りの名所的な意味ではヒラマサのルアー釣りの聖地のような扱いであるものの、遠征にわざわざ来るという人の数は福岡県の玄界灘周辺などと比較すると少ないように思う。
同じくヒラマサ釣りの聖地である福岡県や佐賀県と、千葉県外房地域との間の違いは、都心からのアクセス可能性と遠征的な形でわざわざ行く人の多さである。
なお僕は大阪の釣船には乗ったことがないのだが、予想では東京都心近郊の関東の釣船と似たような特性があるのではないかと考えている。また、青森県のクロマグロ釣りの聖地など、僕が遠征先として有名な場所の例として挙げた場所以外にも、釣り遠征先として有名な場所はあるだろう。
ここでは便宜的に分類しているだけなので、読者の方々においては自分が好きな地域、住んでいる地域のことを過疎地域のように言われたというように感じないで欲しい。この分類に他意はないので。
また、福岡県のような地方の政令指定都市は、この記事では東京・大阪・名古屋という日本の三大都市圏とは区別して、地方都市として扱っている。これについても、いやいや福岡は都会でしょというのはその通り。
僕は福岡のような政令指定都市は、都会かどうかで言うと都会だとは思うが、人口や経済の規模として三大都市圏は桁違いであるという意味で、それらの地方都市と三大都市圏を区別しており、特段ここにも他意はない。僕の出身地である広島県についても、残念ながら三大都市圏には遠くその経済規模を突き放されており、僕が生きている間にその差を埋める気配はなさそうである。
余談だが、広島県民は時折戦時中に首都機能が一時広島県に移されたことがあることを会話で持ち出し、県民の誇りの1つのように語ることがある。もし僕がそのような生まれ故郷自慢をしていたら、「もみじ饅頭美味しいよね」という言葉ばかり言われ続ける地域出身者によるせめてもの抵抗として許してほしい。
三大都市圏とそれ以外の地域の規模の違いは、以下の記事などを参照すると分かりやすいかもしれないので興味があれば読んでみると、3位の名古屋市と4位の札幌市の経済規模の違いがよく分かるであろう。
toukaisousei.com
釣船におけるプロダクトとそれ以外とは
ここではweb・モバイルアプリケーションを中心とするITサービスやIOT的な物理製品で使われることが多い「プロダクト」という言葉を釣船に当てはめて考えてみる。
釣船における狭義のプロダクトは、
- 釣船の船自体における、釣りに直接関係する設備(船のデッキや釣り座の電源設備、タモやギャフなど備え付けの備品…etc)
- 船長の釣りポイント選び
- 釣りのやり方(釣り仕掛けや対象魚だけでなく、乗船人数の最大値のコントロールや、釣り座の選び方など)
などといった釣りそのものと直接関係する度合いが高いものを指す。
では狭義のプロダクト以外は何を指すかと言うと、
- 予約の受付の仕方(電話 or web)
- 餌や氷の準備
- 船長や女将さんのお客さん扱い度合い
- webサイトにおける初心者への配慮度合い
- 釣り後の魚捌き場、洗い場の提供
など、釣りに直接関係するわけではないが、体験全体に影響を与える要素とみなすのが適当だろう。
そして、世に多く出回るプロダクトマネジメントの書籍にあるように、狭義のプロダクト以外の部分に関しても、体験全体として顧客に影響を与えることを考えると、広い意味では全てがプロダクトであると考えるのが良い。
結局、釣りを楽しむ精神的な余裕を持つためには、その前後での体験が重要であって、狭義のプロダクトとそれ以外は切り離せないというわけである。
この記事内では、単にプロダクトと呼ぶ場合には、狭義のプロダクトを指す。
地域特性ごとの釣船の特徴
それでは本記事中での用語の定義を確認できたところで、3分類の地域ごとに釣船がどんな特性を持つかを確認していこう。
釣りの名所地域ではターゲット顧客に特化したプロダクトづくりが重視される
結論から言うと、特定の釣り客=ターゲット顧客に特化したプロダクト作りに関しては、
釣りの名所地域 > 釣船密集地域 > 釣船希少地域
の順に力を入れているというのが、筆者の経験に基づく意見である。
冒頭で定義した釣りの名所地域、すなわち
- 福岡県や沖縄県のように、特定のジャンルの釣りで有名である
- 東京や大阪などの人口密集地域から飛行機や新幹線などの車以外のアクセス手段で向かうか、車で行くにしても前泊・後泊するのがメインである
の両条件を満たす地域については、比較的、狭義のプロダクトに比重を置いた釣船運営がなされていることが多いように思う。
例えばヒラマサやGTのような大物のルアーキャスティング釣りであれば、
- フラットデッキでルアーを投げやすい
- 乗船人数を少なく限定しており、ルアーをフルキャストできる
- 複数ロッドを持ち込む人向けにロッドホルダーが多数配置されている
- 船長は釣糸の太さや魚が食べているベイトフィッシュ、風の強さを考慮したタックルセッティングを事前に教えてくれる
といったその釣りを嗜む人特有の事情に強く適合したプロダクトづくりをしている。
一方で、船長の対お客さんの振る舞いとしては、必ずしもどんな初心者にでもフレンドリーに優しくということはなく、初めての釣りに向いているとは言えない船の方がむしろ多いように思う。
こういった比較的エクストリームな大物系の船釣りは、ルアーフックによる怪我や、時化の中での外洋地域の航海など危険も多い。そのため、船長が船内のルールやイレギュラー時の対応について厳しく断固たる態度で決定することは、同船する釣り客=船員の安全を守るために必要なことであって、多少厳しく言われたとしても表面的な態度について不満を持つべきではない、というのが船釣りに慣れた人の意見というところだろうか。
余談だが僕はそれには同意する一方で、極論だとも思っていて、釣り人口の減少や釣りがゴルフほど市場規模が大きくなく、業界で働く人たちもあまり良い待遇にならないといったよく言われる問題は、こういった初心者層からすると排他的な業界の雰囲気が、小さくない割合寄与していると考える。
ルールやマナーを理解していない初心者が多い
VS
ルールやマナーを初めての人でも理解できるように優しく教えてくれる雰囲気がない
という構図はどの分野でもよく見るが、どっちもどっちであり、極論に近いようなあるべき論で論破しようとするような態度が建設的な議論を阻害するのは、釣りに限らない話である。
話が逸れたが、釣りの名所地域の釣船が、狭義のプロダクトづくりを重視するのは、
- 都心の釣船ほど、初心者を含むたくさんの人が来るわけではなく、わざわざ来るぐらいの遠さなので、強いプロダクトを持たなければ顧客へのアピール力が不足する
- わざわざ来るほどその釣りが好きな人が多いゆえ、サービス提供サイドがある程度の設備投資をできる程度に、顧客側の支払いも多くなりがちである
という形で、それがターゲット顧客が求めるものにマッチしているからだろう。
誰からも嫌われることのないプロダクト、サービスというのは、すごく好かれることもないというようなことはwebプロダクトづくりの文脈でもよく言われるが、まさにそれをターゲットをはっきりさせることで好きな人からはすごく好かれるということによって教えてくれるのが、名所地域の釣船と言えるかもしれない。
商業的成功を重視し、プロダクト以外を磨き込む釣船密集地域
それでは都会の釣船密集地域はといえば、プロダクト以外の部分で勝負し、広めのターゲット顧客を相手にして、資本主義的な都会の競争環境でも持続可能なサービス展開をすることを重視していることが多いように思う。
対顧客のサービスの良さは、
釣船密集地域 > 釣りの名所地域 = 釣船希少地域
という印象である。
密集地域の釣船の特徴はと言えば、
- 船長や女将さんが初心者に優しい
- レンタルの道具や洗い場が充実している
- 自社webサイトや釣割などのweb予約の仕組みが使えることをはじめとして、マーケティングに一定のコストを払っている
というように、プロダクト以外の部分で戦っている側面が相対的に強い。
これには、
- こういった業界内での競争が激しい地域ではプロダクトがコモディティ化してしまうこと
- プロダクトの尖った部分を作らなくても良い程度に、プロダクトには平均的な要素を揃えておけば成り立つ程度に顧客数が多いこと
- 釣船という業態が、労働集約的かつ参入障壁が様々な理由から高く、プロダクトの磨き込みを行わなければならないほど、業界外からの新規参入はないこと
という理由が寄与しているというのが、筆者の意見である。1つ目と3つ目は一見すると反対のことを言っているようだが、同業種内でのローカルな既存プレイヤーとの競争の激しさと、異業界からの圧が小さいことは同時に成り立つと考える。
素人意見だが、動物病院や産婦人科、車のメンテナンスや車検を扱う総合カー用品店なんかも、これに近い構造なのではないか。
もちろんGoogleマップの口コミなんかを見ると、都会の釣船でも船長や中乗りさんが怖いという口コミはときどき見かけるが、僕の経験上このような口コミは、他のtoCサービスでの顧客の扱い方に慣れた感度の高い消費者によるものだと思っている。だからそういう意見は全くナンセンスで聞く意味もないとは思わないが、都心部の釣船は平均的にはサービス精神に溢れたサービス提供者が多いだろう。
プロダクトづくりでは名所地域に負けるような書き方をしたが、密集地域の釣船はやはり総合的な体験としては優れているし、そこまで釣りにコミットしていない知人と一緒の釣行にもベストである。
商業的成功を追求することは、資本主義的な世界において、自分や家族、周囲の人が困ることなく暮らすために、別におかしなことでもなく、適切な判断力と覚悟を持って生きていく姿勢と言える。密集地域においては、生活費も高くなりやすいので、それも船の営業スタイルに影響するだろう。
釣船希少地域では副業船長が多い
では最後に、釣船希少地域はどうかと言うと、副業的に会社員や漁師の仕事の傍らで、もしくは遊漁船の傍らで漁師をやるといった方が多い印象である。
これは上述したようなプロダクトづくりとそれ以外の部分で勝負する姿勢に対して次のような影響を生む。
- プロダクトとしては、特定のターゲットに特化はしておらず、顧客のリクエストを受けて比較的色々な釣りに対応してくれる
- プロダクトづくり以外のサービスとしては、そこまですごく洗練されているわけではない
こう書くと、プロダクトとそれ以外、どちらも中途半端で1番微妙かのような書き方だが、そんなことはなく、釣船希少地域の船長は、この3分類の中ではら最も世の中の普通の感覚を理解している人が多く、良い意味で業界に染まっていないという印象がある。
釣船業以外を生計を立てるためにやっているからこそ、その業界の外側の人の気持ちも分かるというわけである。
また、釣船希少地域の船長は、チャーター便で行く場合には乗船者と和やかに話しながらどんな釣りを楽しむかを決めるというようなコミュニケーションの楽しさを体験できることが多いように思う。これは、乗り合いメインで良くも悪くも商品的に設計された都心部の船にも、ストイックな釣りにコミットする人々が乗る名所の船にもあまりない、希少地域の船でこそ楽しめる釣りの楽しみ方であろう。
地域の人や、遠征の場合でも知り合い中心のお客さんが多いということで、ターゲット顧客とマッチしたプロダクト、サービス方針とも言えるかもしれない。
まとめ
今回は釣船の営業地域とその顧客の性質をもとに、プロダクトづくりとそれ以外の要素への遊漁船業運営者のリソース投下の仕方について考察し、いずれの地域についても、ターゲット顧客にマッチしたサービスが展開されていると結論づけた。
- 釣船密集地域では、プロダクトがコモディティ化しやすく、それ以外の要素へのリソース投下がされやすい
- 釣りの名所地域では、プロダクトの磨き込みにリソースが投下されやすい
- 釣船希少地域では、どちらも名所地域や密集地域ほどではないことが多いが、船長が良い意味で業界に染まっておらず、コミュニケーションが楽しい釣りができることが多い
筆者自身もこの2年ばかりで少し釣りにハマった程度で、釣りを始めたばかりであり、全く的はずれなことを言っている部分もあるかもしれない。
数年後に読み返して、改めて自分の考えがどう変わっているか確認してみたいと思う。