2024-10-15
#雑記
イデオロギーの話じゃなくて損得の話をしているんだ
2者以上で対話を行うとき、ある者が中長期的な目線でイデオロギー的なより上位の思想について意見を言っていて、別の者はもっと短期的な損得を最適化する前提で意見を言っていることがある。
例えば、家庭内でゴミ捨てという仕事を、家族の構成員であるAさんが毎日7時に行う約束をしていたとしよう。
この仕事をAさんが怠ったとして、 他の構成員Bさんとの間で次のような会話が行われ、Cさんが仲裁に入った場合を考える。
- A:ときどきどうしてもゴミ捨てに行けないときだってあるんだから、他の人が手伝ってくれてもいいじゃないか。
- B:いや、それは家庭という共同体を維持するための約束を、各位で納得して話し合って決めた結果に対して、そのルール自体の意味をなくす行為だから、たまに手伝うぐらいならいいという話じゃないんだ。
- A:とは言っても、ゴミだらけになるより全然いいだろう。
- C:まあまあ、ここはルールと言ったって柔軟に行こうよ、Bさんの気持ちは分かるけど、Aさんも最近学校が忙しくて大変だったわけだし。
こういった場面では、結論としてこの場面ではBさんの思想は、Cさんの顔に免じて貫かれないことを許容することになったわけだ。
イデオロギーに近いようなより思想的な主張は、常に目の前の損得による意思決定に劣後させられるという性質を持っている。
上の例で言うならば、今後Bさんが何かのタイミングで、Bさんが担当する洗濯という仕事をできなかったとき、BさんがAさんに対して「”柔軟に行こう”だろ」という隙を与えることになる。
Aさんが冒頭の例で、忙しい時期に自分の仕事をやらないという行動を家庭内で許したことは、過去に決めたルールが形骸化して、秩序が保たれなくなるという中長期的な問題を発生させる代わりに、目の前のゴミが捨てられていないという問題を解決するというトレードオフになっていたというわけだ。
同じような問題は、家庭内、会社内、会社間のやり取りなど、あらゆる場所で起きている。
「木を見て森を見ず。」「“The most dangerous phrase in the language is,‘We've always done it this way.’”(最も危険な言葉は『いつもそうしてきた』だ。)」
古今東西、このことに警鐘を鳴らす人は後を絶たないが、これからも人類はそうやって失敗していくに違いない。
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