「情報共有です」「念の為共有です」という言葉を見たことがあるだろうか。
僕は仕事上のやり取りでこれらを頻繁に見かけるのだが、これらは個人的NGフレーズのうちのひとつとして、自分では使わないようにしたいと気をつけているものに含まれている。
詳しい解説はwikipediaに任せるが、「バベルの図書館」とは、アルゼンチン出身の小説家”ホルヘ・ルイス・ボルヘス”の著作名であって、その作品に登場する図書館そのものを指す言葉である。
図書館の蔵書はすべて同じ見た目をしていて、410ページ/冊、40行/ページ、80文字/行で構成されている。
すなわち、1冊に含まれる文字数は、80×40×410 = 1,312,000文字である。
蔵書内で使用される文字は、22のアルファベット、カンマ、ピリオド、スペースの25種のみ。
そしてバベルの図書館には、その25文字を組み合わせて作ることができる、すべての本が所蔵されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの図書館
すべての本というと何冊になるのかと言うと、
$$ 25^{80\times40\times410} = 25^{1312000} \approx 1.96 \times 10^{1834097} $$
となり、これは「ボルヘス数」と呼ばれる。
この途方もない数の蔵書の中にはもちろん、すべてがスペースのみで構成された全ページが空白ページの書籍もある。
そして410ページ/冊、40行/ページ、80文字/行に収まる、これまでに出版されたすべての書籍が、蔵書群の中に収まっている。
僕は現代のインターネット上の情報量の爆発的増加と、それを扱う情報処理能力があまりにも非力な人間たちを、さながらバベルの図書館と蔵書を管理するバベルの図書館の司書たちのように感じる。
大量の情報を毎日処理しなければならない中で、自分の人生にそこまで関係のない情報(でも情報の出し手は、「自分ごととして関心を持つことが大事!」と言っていて、情報の受け取りては、それがなんとなく正しいように思わされる)や、関係があるだろうから共有しておこうという親切心で身近な人物から渡される情報に溺れているのである。
身近な人物は、別に相手を情報に溺れさせてやろうなどとは考えておらず、親切心で情報共有するので、渡される側も「そういうのやめてくれる?」と強く言いづらい。